西洋の文化を勉強しようとする場合にはキリスト教を必ず勉強しなければならないということが常識になっていますが、日本で人文学をやる場合には、仏教を必ずやらなければならないという原則はむしろ無視されているようです。 例えば日本思想で有名な丸山真男という方がいますけれども、あの方がどれほど仏教を知っていたか、疑問だと思います。そういうところから、学生時代から疑問を感じ、あれではよくないんじゃないかと思っておりましたが、近年そういう点は非常に意識されるようになってきたようです。
もう一つは仏教は非常に難しい学問で、仏教の書物を読むというのは、いわば仏教的な世界の中に入り込むということであり、実際そうしなければ仏教の研究はできないということは、事実でございますし、そうして積み上げられてきた仏教文献学の成果というのは、これは世界に誇っていいものだということは、現実に現代証明されているところです。それにも拘らず、一般の人々、あるいは知識人と呼ばれる人々が、実際の文章を読んでそこから仏教を感じ取る、あるいは現実の問題を考える際に、仏教的な見方でそれをとらえるということは、おそらくほとんどないのではないでしょうか。
私が長年関心を寄せております夏目漱石に関してですけれども、これは戦前の早くから、仏教思想、特に禅との関係が、強調され、かなり間違った理解が広がっておりました。その辺を正したいと思って私もいろいろと書いたのでございますが、実際の漱石が書いていることが、どうも正確に読み取られていないのです。漱石はほとんどの日本人が知っていて、熱心にむしろ好んで読んでいる。にもかかわらず、そこで漱石が一生懸命書いていることが、どうも正確に読み取られていないんじゃないか、結局それは読むほうが仏教のことをよく知らないからなんじゃないか、そういう疑問を常に感じております。そうしたことは、実際のところ非常に大きな、難しい課題だとは思いますが、仏教学が単にこれまで通り文献学の中で通用するだけではなく、現実をどう見るのか、そういう角度から啓発していく、そういう姿勢も大切なのではないでしょうか。 われわれの日常経験と照らして、仏教ではどう説いているのか、我々は現実にそれをどう考えなければいけないのか、実はそういう捉え方をしてきたのが、夏目漱石なんだ、ということなんです。
なぜ、夏目漱石が仏教の方に、走って行ったかと言いますと、慶應四年の生まれといいますから、実際は明治と同じ年齢ですが、日本の明治維新後、新しい教育制度のもと、西洋の文化がどんどん入ってくる、そういう中で、とっても大きな違和感を漱石は感じていた。漱石はイギリスにまで留学したわけですけれども、西洋がどうも自分の身には合わない、やはり東洋の感覚の方が身に合っている、そういうところから仏教に、実際に生きていくうえで導きとなる思想というものを求めていたんです。研究的な、単なる知的な欲求で思想を、西洋の思想ではだめだということを実感して、いったわけです。
私は、現代の世界の思想というのはダメなんだと思うんです。現実の日本が、すさまじい状況にございますが、これはこういう世界史の帰結として起こっている。それに対して答えることができるのはおそらく仏教だけではないか、そういう気がいたしますので、概括的なことを申し上げさせていただきたいと思います。
現在、地球環境の破壊をはじめとする、大きな科学技術のもたらした欠陥というものの原因が、デカルトに始まる二元論的世界観に基づいているということは、繰り返し指摘されているところでございますが、そのデカルトを継承したカントの哲学というのは科学的合理主義と哲学との両立を目指そうというつまり科学の発達した現実というものに哲学はどう対処するのか、そういうところから始まった施策であるとつまり批判哲学というものが、そこにあるということであります。しかし、そこで理性の問題を強く打ち出したところから、ヘーゲルの理性哲学が展開いたしました。ところが、すぐにショーペンハウエルはその理性の哲学に対して反旗を翻す。それは仏教なのです。
「意志と表象として世界」というショーペンハウエルの主張は、仏教に基づいているものでして、つまり西洋思想史の中に正面切って仏教を取り入れるということが、おこってきたのです。しかもそれを、ショーペンハウエルは西洋哲学史の先頭に位置づけている。これは非常に重要な意味を持っていると言っていいと思うのです。このショーペンハウエルはの哲学を継承しながら、さらにインド哲学を学んだのが、実はドイッセンでありまして、ドイッセンの親友がニーチェでした。ニーチェもまたショーペンハウエルの哲学を継承し、そして、さらに仏教にも深い知識を持っておりましたけれども、そのうえで西洋文化をみて、神は死んだのだという、そういう叫びをあげたわけです。
このニーチェの主張がニヒリズムと呼ばれて、現在でも繰り返し、引用されているところで、例えば、現代の日本でいろいろ理由なき殺人が頻繁に起こるという現象をとらえて、京都大学の佐伯啓志???教授が、日本にニヒリズムが蔓延しているのだ、そのニヒリズムの根源というのはニーチェが指摘した通りであるとしている。このようにニーチェの指摘をもって、この現在の日本を説明しようということをなさるという方がおられるわけです。
しかし、その問題はニーチェの哲学だけにあるわけではございません。西洋文化そのものがその方向を突っ走ってきたと言っていいと思います。歴史的な年代関係は順不同でいろいろなテーマを簡単に、トピック的に申し上げさせていただきますけれども、例えばアインシュタインの相対性原理というものは物質自体が実体的存在ではないということを明らかにしました。このレラティビティというアインシュタインの主張した自然科学的な研究の成果というものが、シュチェルバツキィの中観思想の研究の中に、すぐに取り入れられて、「縁起」をレラティビティという言葉で訳しております。私は、自然科学のアインシュタインのレラティビティと仏教の中観派のレラティビティというものは違うと思いますが、しかしながら、シュチェルバツキィはすぐに相対性原理と仏教との関係というものをみている、しかも、そこで物理学が実体を見ないという観点を打ち出している。その点だけを見ますと仏教の無我説と極めて深い関係があるといってよいのではないかと思うのです。
そのアインシュタインの相対性原理の結果が、今現在、原発の問題などとして様々な影響を及ぼしているわけですが、ともかく、物理学は実体を論じるのではなく、極めて単純化して申しますと、物理的現象の数学的記述として学問であり得るという考え方が確立したのです。そういう考え方を、哲学に持ち込んだのが本来数学者でありますフッサールでありまして、フッサールの現象学というのは人間の思想、人間の存在そのものを現象として捉え、つまり実体をみない、単なる現象としてその記述の学問として厳密な哲学が可能である、つまり現象学など実体を取り上げるような学問というものはもはや、通用しないんだという考え方も、表面だけ見ますと、仏教の無我説と密接な関係を持っている、類似性を持っているとも言えます。本質は、全然違うものだと思いますけれども。
さらに医学の発達が人間観を大きく変えまして、人間のありのままの姿を見ようとして、そこにリアリズム文学というものが生まれてきます、それは人間の本性を本能に見ようというもので、つまり人間のリアルな姿というのは実は本能であるとそういう捉え方が定着して参ります。
それから、印象派の絵画、これは世界で最も愛好されていると言われております。この印象派の理論的リーダーであったマネによりますと、絵画は印象を描くだけで、実体を描くのではないと、言うんです。ここでも実体を見ないとそういう思想が芸術の中に打ち出されている。例えばマネの草の上の昼食という有名な絵がございます。これは展覧会で発表されますと、轟轟たる非難を浴びたのです。マネは数人の男女が昼食をしているという男子は紳士ですね、これはスーツで身を固めている、女性は全員が裸体である。それがなぜ非難を浴びたのか。もともとギリシャ、ローマの彫刻を初めてとして、裸体像というのはあふれるほど存在するわけですが、それまでの裸体像は、いずれも神話を彫刻あるいは絵画で表現したもので、見る者も創る者もそれを神話として見ていた。マネはその神話を引き離して、生身の人間をそこに描いた、そのことが淫らである、という非難を浴びたわけです。
また、マネの後輩のモネは、パリの大聖堂を十数枚描いています。これは時間によって光と陰影が変化する様子を十数枚の絵画で丹念に描いているわけでございますが、まさに光の印象を描くだけで大聖堂が象徴しているカトリックというヨーロッパ精神史の支柱を、まったく眼中に入れていない。これは印象派の姿勢を実に見事に表しているわけです。モネは睡蓮に関心を集中することになりましたけれど、その睡蓮の池というのには、赤く塗られた日本の太鼓橋が架けられている。その屋敷には、日本の浮世絵がたくさん収集されている。モネの頭の中にはフランスの歴史はなかったのです。日本の文化が、その心を占めている。 モネは、日本の文化によって、その精神が救われていたと言っていいと思います。印象派の画家にはゴッホやゴーギャンというのもいますけれど、精神異常を起こしている人たちがかなり多いのですね。精神的な危機というものを非常に大きく感じていたのだと思います。
音楽においては音階を否定するという試みがなされております。音階というのは西洋音楽で言いますと長調短調の音階が、あって、それはそれまでの作曲家たちにとっては動かしがたい、感覚的または自分の心の中の音を表現する拠り所となるものであったのですが、ドビッシーはこの音階を壊して、人工的な一オクターブの六つ全音をかけて、六全音の音階を作った。あるいはシェーヌベルクは全部を半音にしてしまって、十二音音階というものをつくり、さらにシェーヌベルクは乱数表を使って作曲を行う。つまり心の中から湧き出てくる音楽というものから離れてしまうということが、音楽の世界にも起こってきているわけであります。我々がベートーベンなどを聞く場合とはまるで違った音楽になってきております。
さらに、大きな哲学上の問題となるのが、構造主義というものです。その構造主義の発端というものはソシュールの比較文法学でありますが、ソシュールはパーニニ文法を研究することによって、文法規則の普遍性というものを認識することができた。つまりパーニニ文法というものは極めて卓抜な理論によって成り立っておりますから、それを学ぶことによって、あらゆる言語に共通する普遍的な規則というものを取り出すことができた。そしてさらにソシュールによりますと、文法構造はその言語を使用する人間から独立しているものである、言語の構造は人間という主体を抜きにして考察することができると見なしたわけです。つまり構造それ自体が自律的な存在であるとする。そこから、さまざまな面で構造主義の考え方が適応されるわけでありまして、文化の諸分野について、構造主義的な考え方が、用いられるようになる。フランスを中心に、この構造主義が非常に蔓延いたしまして、日本の思想界にも、その亜流を多数生み出しております。
例えば、テキスト論というのがありますけれども、テキストというのは作者とは関係がないと、そういう主張です。そういう文芸批評の理論によって、日本の文学を論ずる。ちょっと考えるとナンセンスな話なんですけれども、その同じ考え方が早くに分析哲学という形で成立しておりまして、戦後間もなく、禅の語録を分析哲学によって分析した研究があります。つまり、それは言語というものの絶対性を考えた上での批評なんですが、禅の語録を分析した結論として、禅の語録はナンセンスである、と言う。しかし、「言語なんて、その程度のものだ」ということを言うために、語録ではわざと矛盾したことを言っているのに、分析哲学は、言語の構造だけを真か偽かと議論して、「禅の語録はナンセンスだ」などと言う。これは、全然それを語った人たちのことは考えていないんです。
このような理性の重視とか、合理性の追求というのはフランス革命において決定的な位置を占めることになったわけです。そこで理性というものの権威が確立する。そうしてマルクス主義が誕生するのも、その後まもなくのことです。半世紀たたないでマルクス主義が登場する。唯物史観というものは戦前から戦後現在までの日本史の研究で、唯物史観・階級史観というものが、非常に強い影響を及ぼしている。それは現実や事実を見ないで、そういう構造だけを見ていくという、そういう考え方にほかならないわけあります。
アメリカの独立戦争というのも、フランス革命にわずか数年先だって起こったことでございますが、さらにアメリカでは、プラグマティズムの思想も加わって、このような構造主義的な思想が推進される。近年、世界の金融界を混乱に陥れた巨大ファンドの金融崩落という問題がございますけれど、デリバティブとか、いろいろもっともらしい名前をつけておりますけれども、あれは、NASAの宇宙探査が予算を大幅に縮小されて、数学者が大量に失業したため、その数学者を雇って、金融の方で、金もうけをする仕組みを考えさせようとしたものなのです。つまり数学的な仕組みで、金融の操作をしようということです。金融というのは、本来生産流通消費というプロセスの潤滑油となって、これを支えるべきものであり、その主体となるのは人間のはずなんです。ところが金融工学と称する世界ではそんなものは眼中にないです。お金だけの数学的なメカニズムで操作する。外国に巨大投資をして、その利益だけを回収していく、そういう仕組みを考えた。ここでも人間というものは捨象されてしまう。
以上のような具体的な例は、まだまだ挙げることができると思いますけれども、さらに現在、条約か協定によって世界的に規制を加える、それによって利益を図ろうとする発想があります。これは日米の根底にある構造になっているという現れ方しております。構造も、まずひずませると???。そこで有利な立場を得れば、相手から収奪することができる。これはかつて日本が被害国であった不平等条約と同じものなのですけれども、今はそれが条約とか協定の名で公然と、行われている。今のTPPなども同じような深刻な問題をはらんでいるということが指摘されております。このような問題の発端というのは科学が隆盛になった19世紀後半以後に顕著になっていたわけでありまして、そこからヨーロッパに対抗するアメリカやロシアという大国の台頭というものが強烈に意識される。これは第一次世界大戦というものが関係しておりますが、そこでシュペングラーの『ヨーロッパの没落』という本が出ておりますし、トインビーの歴史の研究というのも、過去の世界における26の文明を数えて、その中ですでに16の文明が滅亡したが、最後に残るのはわずかに5つぐらいであり、その一つが極東文明とされております。この極東文明の内容は、トインビーの場合には、なお中国に力点が大きかったわけでございますけれども、十数年前にでたサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』では、そこに日本文明というものも一つ立てております。こういう西洋文明、儒教文明、中華文明、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、スラブ文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明というものを8つ数えたのです。要するに西洋の文明というものを欧米の人たちが相対化してみる、そういうことが常識になっている。これは、日本ではそうじゃないんじゃありませんか。
今、そういう文明論に深入りするつもりはございませんけれども、そういう世界の文明の相対的な見方というものが、ヨーロッパの人々によって強烈に自覚されているのです。しかし、これは戦後のことなどではありませんで、実は1893年、明治六年にシカゴでバンコク博覧会が開催されましたが、その際に世界宗教者会議というものが開かれております。これはなんでもないこととして、記録されておりますけれど、キリスト教世界が世界の諸宗教の人々を集めて会議をしようなどという発想そのものが、それまで考えられないことだった。キリスト教というのはむしろ、世界の覇者として絶対的な権威を持つものだと、それ以外の宗教は邪教だと言っていたはずなのです。その会議で、ヴィヴェーカーナンダが演説をしまして、インドの伝統的な、この異なる立場が、根底において唯一なるものを目指しているんだと、だから寛容なることが極めて重要なのだと、そういう演説を致しました。この演説がこの会議で非常に大きな影響を与えた。ロマンロランはヴィヴェーカーナンダの伝記を書いているほどであります。これが機縁となって、師匠のラーマクリシュナの名前を取って、ラーマクリシュナミッションというものが設立され、世界にヒンドゥー教の布教をするということが始まっております。
鈴木大拙が渡米致しましたのはこの会議の後のことでございますが、このような時代の雰囲気を受けて、鈴木大拙は禅仏教を世界に紹介するという役割を果たすことになったのであります。つまり堂々として禅仏教を世界にアピールするということが行われたわけで。欧米におきまして、日本の仏教が熱烈にもとめられたということを耳にしております。そうして明治の開国以後、日本の学僧たちが多数ヨーロッパに渡って留学その他で研究をしておりますが、その実際の内容というものは、江戸時代までの仏教学というものを背景にいして、それをヨーロッパに紹介するということをやっていたわけですね。ヨーロッパでは、日本が伝えている仏教学の成果というものを非常に熱心に求めていたということになります。
ですから、始めにちょっと申しましたように、夏目漱石が西洋を批判したということは、決して間違いではなかったのですね。その時代の流れを見れば、先覚者としてそういう自覚を持っていた。
実は夏目漱石の思想を継承して哲学体系を樹立したのは和辻哲郎なんですね。前にそのことは小さな論文で発表いたしましたが、昨年出版いたしました、夏目漱石の『こころ』に関する小説の中で、「先生と私」というチャプターがあります。あれはふつう軽く扱われるのですが、詳細にその内容を吟味検討して紹介をしておきましたが、あそこに出てくる私というのは実は和辻哲郎なんです。それは他の資料で確認することができますが、あれが自分自身だということを分かっていたのは、和辻哲郎ひとりです。その後、かなり後になって、国文学の研究者が一人だけそのことを指摘しておりますけれど、実に大事なことで、あの「先生と私」というチャプターに描かれている、私と先生の関係が基本になって和辻哲郎の人間の学と、人間観というものが出てくる。つまりニーチェ的な実存、孤独な存在というものは、人間の住むところではないんだ、ということを漱石から和辻哲郎は思い知らされて、そうして、ニーチェの世界に決別して、仏教の方に走って行ったのです。その結果、『原始仏教の実践哲学』を書き、その途中で『沙門道元』なども書いておりますが、非常に優れた仏教研究を行って、『倫理学』を書くわけであります。
ところが、そういう『倫理学』に描かれている人間概念、人間というものが個人と社会というものの絶対空の関係において成り立つものだと、そういう形の思想に対して、マルキシズムの側から、猛烈な攻撃が加えられたわけです。その攻撃は装いが非常に巧妙で、和辻哲郎の倫理学は解釈学に過ぎないのだという表現でございました。私も東京大学に入って、印哲の研究室に進んで間もないころに、和辻さんのことを講義で実際に聞いておられた方が、「あれは解釈学だよ」と。これは戸坂淳が下した判で、それがいまでも、生きていますね。マルキシズムも仏教をまともに批判できませんので、そこで和辻さんのような思想を批判する、仏教学者もそれを暗黙の内に受け入れてしまう。そういう意味で仏教的な思索を展開しようとした人というのは、なかなか日本では育ちにくい。対立抗争の中で、うずもれていってしまうということがあります。
以上のような経過で現代というものがあるのでございますが、もう時間ございませんので、一言で結論とさせてもらいますけれども、現代の世界というものは一見、空無我の思想に近いようでありますけれども、それは単なるニヒリズムでしかない、それを救えるのは仏教ではないでしょうか。現在、要求されているのはそういう仏教というものが、もっと社会的に発言をすること、こういうニヒリズムから救済していくこと、そういうことが世界人類の歴史において求められている。それを成しうるのはおそらく日本の仏教学者だけではないでしょうか。そういう責任が日本の仏教学者には今負わされている。非常に重いことでございまして、そこで仏教の研究というものも全面的な形で展開する必要があるということです。まず、それはテキストの研究が第一でございます。その点で日本の仏教に伝わってきている古写経というものの意義を再認識する。それによって漢訳仏典の校訂を作っていく、そういう基礎作業から始めて、思想的に現代に対してどう対処するのか、仏教の知恵というものをそこから抽出していく、それを世間に及ぼしていく、そういう役割が日本の仏教学者に課せられた世界史的な意義なのではないかというふうに思います。(終わり)